いろんな謎が解ける話
「困っている、可哀想な人だから助けよう」
そういう意識でスピセッションをすると 目の前に
困っている、可哀想な人
が現れる。
だから、意識を変えたらそういう人は来なくなった。という話を聞いてとても腑に落ちてしまった。
私はあのサロンにいた時に ずっと自分は、困っていて可哀想な人になっていた。 なぜなら スピリチュアルに頼る時、私はいつも困っていたから。
スピリチュアルに頼む=困っている
その図式ができてしまっていた。 逆に考えると 困っていない=スピリチュアルに頼らない
なので、スピから抜けないと私はずっと困った人になってしまう!と思ってしまった。
スピリチュアルだけじゃなくて友達同士もそうかなと気づいた。
困っているととても心配してくれる友達がいる。 ありがたい。 でも、心配して心配して心配してくれるから 私はどんどん不安になっていくのだ。
たしかに用心した場合も良いこともある。 でも、不安にならなくても用心したら良くない?と思ってしまった。
つまり、心配=用心する、気をつける ではないのだ。 悩み事は言わない方が良い。 いや、心配してくれる人に言わない方が良い。 助けて欲しいなら、不安と切り離して 助けて!といえば良い話じゃないか。
友達から悩み事を相談されて 私は話に乗るけれど、もしかして私がその悩み事の火を大きくしていたこともあるんじゃないかと思った。
まあ友達の話は置いといて
まずは自分。
だって心配しなくてもしても、道はそこしかないのだからどうせ歩くなら普通に歩いたほうが気分が良い。